ご挨拶
私は初期研修より一貫して名古屋市港区の基幹病院である中部ろうさい病院に在籍し、名古屋市南部(港・中川・南・熱田区など)にお住まいの多くの高齢患者さんや働かれている方々、そして子どもさんの診療にあたりながら研鑽を積ませて頂きました。
またこれまで糖尿病や甲状腺疾患を中心に多くの慢性疾患を抱えながら生活されている方々やそのご家族などのお気持ちを可能な限り汲み取らせていただき、その家族背景や社会的背景等も重視して、できるだけ患者さんに話しやすい雰囲気を作りながら外来診療を行ってきました。
今後は名古屋市港区を中心にその近隣の方々にとって、住み慣れた街で末永く安心して暮らしていける一助となるべく、気軽にご相談に応じれる「かかりつけ医」としての役割を果たしていきたいと考えています。
くさまみなとクリニック クレド Credo
- 病気を抱える患者さんとそのご家族の不安に寄り添い、常に感謝と慈悲の気持ちを持ちながら、丁寧かつ誠意ある対応を心掛けます。
- 笑顔を絶やさず、優しさに溢れる、地域から信頼され、愛されるクリニックを目指します。
-
患者さんやそのご家族は勿論、スタッフ同士の関係においても常に尊厳を持って行動し、相互に人間性を高め合える職場・空間作りに努めます。
皆さまの「くさまみなとクリニック」へのご来院をお待ちしております。
何卒よろしくお願い申し上げます。
院長 草間 実
院長の略歴
| 2002年3月 | 愛知高等学校 卒業 |
|---|---|
| 2008年3月 | 産業医科大学 医学部医学科 卒業 |
| 2008年4月 | 中部ろうさい病院 初期研修医 |
| 2010年4月 |
中部ろうさい病院 内科後期研修医 (名古屋大学 糖尿病・内分泌内科入局) |
| 2011年4月 |
中部ろうさい病院 糖尿病・内分泌内科 医員 |
| 2017年4月 |
中部ろうさい病院 糖尿病・内分泌内科 副部長 |
| 2019年5月 |
くさまみなとクリニック 開院 |
他に水谷医院(港区)、松前内科医院(一宮市)、㈱トレーデイア(港区)、㈱東海理化豊田工場などにて
糖尿病・甲状腺診療のほか、一般内科・小児科外来や在宅・訪問診療、企業産業医などに従事。
所属学会・資格
- 日本内科学会 総合内科専門医・指導医
- 日本糖尿病学会 専門医・研修指導医
- 日本糖尿病協会 糖尿病認定医
- 日本甲状腺学会
- 日本医師会認定産業医
- 臨床研修指導医
- 小児慢性特定疾病指定医
- 難病指定医
学校医
-
名古屋市立港西小学校 学校医(内科)
院長のむかしばなし
幼少期
製薬会社の営業サラリーマン(MR、昔はプロパーと言ったそうです)をしている父と某通信添削教育の答案採点(赤ペン先生)で内職をしながら育児をする母のもとで、3人姉弟の末っ子長男として生まれました。小さいときはもっぱら姉2人のおもちゃでした。草間家は親戚含めて医師の家系では全くないのですが、夜遅くに仕事から帰ってきた父がビールを飲みながら「みのるぅ、お医者さんってのはなぁ、………(酔)」と聞かされていたのを今でもなぜかよく覚えています。
学生時代
中学・高校は男子校でしっかりと男臭い6年間を過ごしました。この時代に過ごした仲間たちは今では進んだ道や人生はそれぞれ違っても、かけがえのない存在です。そしてクリニックの経営理念にも登用した「報恩感謝」という言葉は、校訓からあやかったものです。学生時代はまったく気にしていませんでしたが、卒業、就職、結婚、そして子どもを授かり、医師として社会の役割を果たす上でとても有難い言葉であることを今更ながら実感しています。
高3の夏に父が癌を患い、一時的に仕事を休養し抗がん剤治療などを受けていました。当時、進学先は他学部も視野に志望していましたが、抗がん剤の影響で髪の毛が抜け落ちた父から直接、「人のためになる仕事についてほしい」「なれる可能性があるのなら、医師の道を志してもらいたい」と説得され、医学部への進学を決意しました(また父は病を克服し、無事仕事へ復帰できました)。
大学は福岡県北九州市にある産業医科大学に進みました。野球部に所属し、たくさんの仲間たちに出会えました。正直なところ、医学部の勉強以上に練習・礼節、そしてお酒(笑)とすごーくすごーく厳しい環境であったために、かなりの耐性・免疫力が鍛えられてしまいました(笑笑)。今の自分があるのはこの時代の財産があるからと思っています。
医師になってから
初期研修からは名古屋に戻り、名古屋市港区の中部ろうさい病院で過ごしました。港区を中心にたくさんの患者さんやそのご家族の方々から多くのことを学びました。また多くの同僚や先輩方、そしてたくさんの職種の方々にも支えられ、人間として成長できる場所を与えていただいたことに感謝の念が尽きません。
また医師を志す道しるべを与えてくれた父も数年前に2度目の癌のために亡くなりました。2度目は喉のがんを患い、病勢の進行に伴って声を出すことができなくなり、最期の3か月間は筆談で父とのコミュニケーションを図りました。当時、使用した紙やノートには父の言葉が残っています。けれども医師である前に1人の息子として、やはり「もっとたくさん話したかった」「もっと父の声を聞きたかった」――そんな思いが今も心に残っています。
そのとき率直に感じたのは、『言葉で伝えることの大切さ』と、『言葉にならない想いに寄り添うことの難しさ』でした。だからこそ私は、病める人の言葉を丁寧に受けとめ、その人の気持ちに寄り添う医師でありたいと思っています。
どんな小さな一言の中にも、その人の人生や想いがある。その声に耳を傾けながら、少しでも心が軽くなるような医療を届けたい。そんな気持ちで、毎日の診療に向き合っています。
死の直前に私に伝えてくれた父の最期の言葉は今も忘れず、独立開院を決めた私の心の奥底で揺るぎない支えになっています。
今一度、振り返ると、
大雑把で豪快だった父、優しくて今でも自分のことを心配してくれる母や姉たち。
中・高時代の仲間や恩師。
大学時代の野球部の先輩、後輩、そして友人。
病院時代に多大なるご指導・ご協力をいただいた先生や看護師さん、薬剤師さん、栄養士さんの方々。
応援してくれる妻や子どもたち、そして一緒に盛り上げてくれるスタッフさんたち。
穏やかなコミュニケーションを通して人と人は繋がり、互いの信頼を得て心身共に安定し、幸せな人生を歩めていけるものだと思います。開院する機会をいただきましたことに感謝の念を忘れず、愚直に頑張っていこうと思います。よろしくお願い申し上げます。
