~院長のむかしばなし~
幼少期
製薬会社の営業サラリーマン(MR、昔はプロパーと言ったそうです)をしている父と某通信添削教育の答案採点(赤ペン先生)で内職をしながら育児をする母のもとで、3人姉弟の末っ子長男として生まれました。小さいときはもっぱら姉2人のおもちゃでした。草間家は親戚含めて医師の家系では全くないのですが、夜遅くに仕事から帰ってきた父がビールを飲みながら「みのるぅ、お医者さんってのはなぁ、………(酔)」と聞かされていたのを今でもなぜかよく覚えています。
学生時代
中学・高校は男子校でしっかりと男臭い6年間を過ごしました。この時代に過ごした仲間たちは今では進んだ道や人生はそれぞれ違っても、かけがえのない存在です。そしてクリニックの経営理念にも登用した「報恩感謝」という言葉は、校訓からあやかったものです。学生時代はまったく気にしていませんでしたが、卒業、就職、結婚、そして子どもを授かり、医師として社会の役割を果たす上でとても有難い言葉であることを今更ながら実感しています。
高3の夏に父が癌を患い、一時的に仕事を休養し抗がん剤治療などを受けていました。当時、進学先は他学部も視野に志望していましたが、抗がん剤の影響で髪の毛が抜け落ちた父から直接、「人のためになる仕事についてほしい」「なれる可能性があるのなら、医師の道を志してもらいたい」と説得され、医学部への進学を決意しました(また父は病を克服し、無事仕事へ復帰できました)。
大学は福岡県北九州市にある産業医科大学に進みました。野球部に所属し、たくさんの仲間たちに出会えました。正直なところ、医学部の勉強以上に練習・礼節、そしてお酒(笑)とすごーくすごーく厳しい環境であったために、かなりの耐性・免疫力が鍛えられてしまいました(笑笑)。今の自分があるのはこの時代の財産があるからと思っています。
医師になってから
初期研修からは名古屋に戻り、名古屋市港区の中部ろうさい病院で過ごさせていただきました。港区を中心にたくさんの患者さんやそのご家族の方々から多くのことを学ばせていただきました。また多くの同僚や先輩方、そしてたくさんの職種の方々にも支えられ、人間として成長できる場所を与えていただいたことに感謝の念が尽きません。また医師を志す道しるべを与えてくれた父も数年前に2度目の癌のために亡くなりました。死の直前に私に伝えてくれた最期の言葉は今も忘れず、独立開院を決めた私の心の奥底で揺るぎない支えになっています。
今一度、振り返ると、
大雑把で豪快だった父、優しくて今でも自分のことを心配してくれる母や姉たち。
中・高時代の仲間や恩師。
大学時代の野球部の先輩、後輩、そして友人。
病院時代に多大なるご指導・ご協力をいただいた先生や看護師さん、薬剤師さん、栄養士さんの方々。
応援してくれる妻や子どもたち、そして一緒に盛り上げてくれるスタッフさんたち。
穏やかなコミュニケーションを通して人と人は繋がり、互いの信頼を得て心身共に安定し、幸せな人生を歩めていけるものだと思います。開院する機会をいただきましたことに感謝の念を忘れず、愚直に頑張っていこうと思います。よろしくお願い申し上げます。